凪いでいる
父が死んだ。在日韓国人だった。
母は日本人で、私はいわゆる国際児にあたる。
私たちはハタチになると、国籍を選ぶことができる。今年の4月、私は日本人になることを選んだ。
法律で定められた国籍と、この身体に流れる血。
その矛盾は、自分のナショナリティーを疑うきっかけとなった。
在日韓国・朝鮮人問題が、一世、二世と世代を跨ぐごとに風化されつつある現代で、確実としてあったその事実の大きさについて、ようやく成人を迎えた私にはあまり現実味がない。
しかし、私がこれまで出会ってきた人々、住んできた土地、食べてきた物、肌で感じてきた営み。私の人生の目の前にあったそれらに、今一度丁寧に向き合ってみると、そこにはそれぞれのジェネレーションに基づいた記憶や事実が根強く残っており、私はこのコントラストにひどく違和感を感じた。
史実として残る歴史は理解できるのだが、感情が追いついてこない。
百余年経った今、時間と共に対立感情が緩和された世代が私たちである。
しかし、史実がもたらした現実は、限りなくゼロに近づけど終わりは訪れない。
それはまるで、風の始まりと終わりのように、ずっと掴めないまま流れていく。
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water
2016年、3月、父が死んだ。
ずっと嫌いだった人も、いなくなれば必要としている自分に気付く。
2019年、7月。韓国の海に母が骨を撒いた。
私が初めて海を渡った日。降り立った父の故郷は、なぜか懐かしくてほっとした。
2021年、7月。11年間一緒に生きた猫が2匹死んだ。
母と私の、この世で唯一のかけがえのない存在だった。
8月、テレビの前のテーブル。
座る順番は、私、母、3匹目の猫。
いままで前向きなことなんて言わなかったママが、
「明るく生きてこう。」
なんて呟いた。
涙、星、体温、光、爪の色、水平線。
優しいものは、燃えても真っ白だ。
真っ白になって、存在していたことを証明してくれる。
文章を書きながら、雨が降ってきた。
この雨が、あの海だ。
あの人だ。